鏡像の私
2002年7月2日私は鏡が好きだ。
鏡に映るもう一人の自分は私のしていることをすべてお見通しで。
だから、決して自分に嘘をつくことが出来ない。
人には沢山の嘘をついた。
それは侮辱する域の物ではなく。
上に立つためや陥れるためではなく。
私は、ついていい嘘は存在するのだと信じている。
ただ気を付けるべきところは、
それを判断するのが『自分』ということ。
私は。
自分という存在が判らなくなることが、あった。
自分という存在が確かなものなのか、不思議に思ったことがあった。
まず存在の確認。
私の唯一の認知道具は『鏡』だった。
他人が見知っている『写真』ではなく。
自分は自分で確立した存在になりたいと思っていた。
他人の評価に右往左往させられることなく、確固たる自分を持ちたかった。
一人暮らしをして、初めて『独り』を経験した。
束縛も制限もない。自由。
そこで『身勝手』を戒めてくれたのは『鏡』だった。
『鏡』は何でも知っている。
つらい時に、大声で歌う私も。
笑顔の練習をする私も(笑)。
悲しいことを全部吸い取って、
そして今『鏡』は云うのだ。
「幸せと喜びの中にいなさい」と。
鏡像の私。
反対の私を映し出す。
私はきっと二人いるのだ。そう思う。
鏡に映るもう一人の自分は私のしていることをすべてお見通しで。
だから、決して自分に嘘をつくことが出来ない。
人には沢山の嘘をついた。
それは侮辱する域の物ではなく。
上に立つためや陥れるためではなく。
私は、ついていい嘘は存在するのだと信じている。
ただ気を付けるべきところは、
それを判断するのが『自分』ということ。
私は。
自分という存在が判らなくなることが、あった。
自分という存在が確かなものなのか、不思議に思ったことがあった。
まず存在の確認。
私の唯一の認知道具は『鏡』だった。
他人が見知っている『写真』ではなく。
自分は自分で確立した存在になりたいと思っていた。
他人の評価に右往左往させられることなく、確固たる自分を持ちたかった。
一人暮らしをして、初めて『独り』を経験した。
束縛も制限もない。自由。
そこで『身勝手』を戒めてくれたのは『鏡』だった。
『鏡』は何でも知っている。
つらい時に、大声で歌う私も。
笑顔の練習をする私も(笑)。
悲しいことを全部吸い取って、
そして今『鏡』は云うのだ。
「幸せと喜びの中にいなさい」と。
鏡像の私。
反対の私を映し出す。
私はきっと二人いるのだ。そう思う。
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